藤原泰衡

藤原泰衡生活在日本平安時代末,鎌倉時代初。父親為第三代頭領藤原秀衡。與源義經是幼時好友。保元二年(1157),藤原基衡死後,嫡男秀衡繼承了奧羽藤原氏家督的位置,同時也繼承了奧羽兩國押領使的職位。而京都的政治格局經歷了保元、平治兩次動亂,正是平家花開無雙,月滿無缺的全盛時期。藤原秀衡繼續通過向京都貢獻名馬、金砂之積極舉措,保住了奧羽之地的半獨立狀態。源賴朝起兵討伐六波羅平家。源義經欲往投奔,藤原秀衡不願意過早與平家扯破臉,勉強挽留義經不果,便派遣佐藤兄弟護送源義經離開奧州。

歷史相關

藤原泰衡(1134~1189)
生活在日本平安時代末,鎌倉時代初。
以東北奧州平泉為中心的奧州藤原氏第四代頭領。父親為第三代頭領藤原秀衡
源義經是幼時好友。
(以下部分感謝網友“重舟”提供資料)
保元二年(1157),藤原基衡死後,嫡男秀衡繼承了奧羽藤原氏家督的位置,同時也繼承了奧羽兩國押領使的職位。而京都的政治格局經歷了保元、平治兩次動亂,正是平家花開無雙,月滿無缺的全盛時期。藤原秀衡繼續通過向京都貢獻名馬、金砂之積極舉措,保住了奧羽之地的半獨立狀態。嘉應二年(1170)藤原秀衡敘任從五位下,就職鎮守府將軍。平泉館在三代藤原氏的建設下已經成為不輸於平安京的大都市,人口繁盛,物產豐富。
雖然平家掌控的京都朝廷對奧羽藤原氏恩寵有加,藤原秀衡最在意的還是確保自身割據地位的無虞。當年幼的源義經逃離鞍馬寺遠走陸奧的時候,藤原秀衡毫不猶豫地予以庇護,以作將來的伏筆。治承四年(1180),源賴朝起兵討伐六波羅平家。源義經欲往投奔,藤原秀衡不願意過早與平家扯破臉,勉強挽留義經不果,便派遣佐藤兄弟護送源義經離開奧州。
養和元年(1181),源平征戰正酣,平宗盛打算藉東北的兵馬合擊鎌倉,於是表授秀衡為陸奧守。這次的任命表明朝廷對平泉藤原氏統治奧羽兩國這一既成事實的默認與正名。藤原秀衡接受了朝廷的任官,卻持觀望的態度,置身事外,並未發兵助戰。源義仲入主京都以後也曾經向奧羽藤原提出派兵的請求,藤原秀衡一概置之不理。但元曆元年(1184),源賴朝開始重建被六波羅燒討的東大寺時,藤原秀衡卻極為慷慨地供奉了五千兩的黃金作為佛像的鍍金料。總之,奧羽的王者藤原秀衡便是憑藉這種銳利的洞察力以及優秀的外交手腕維繫著平泉的和平與獨立。
文治二年(1186)鎌倉方面送來了源賴朝的書狀,“御館乃奧六郡之主,予乃東海道惣官,宜成魚水至好。”勸說奧羽向朝廷供奉黃金馬匹時應當通過鎌倉轉呈,此舉的目的是為了將奧羽藤原納入到鎌倉的管轄之下。為了避免與鎌倉發生直接的衝突,秀衡滿足了賴朝的要求。然而翌年二月源義經落魄來投的時候,藤原秀衡顧念昔日的情分,還是將義經安置在了平泉附近的衣川之館。或許在秀衡心中,已然了悟奧羽和鎌倉之間終有一戰了吧。
關東的主宰源賴朝和北方的王者藤原秀衡,就仿佛青龍與白虎,耽耽而對,互相掂量著對方的肌肉力度,默默等待著合適的時機。京都的朝權王族,心思蠢蠢,有所期望,可惜實力不濟,只能添油加醋地在一旁鼓譟著一些無意義的話語。
漫天烏雲籠罩了東北廣大的土地,秋風颯颯拂掠,奧羽百年安詳的和平歲月眼見即將成為鏡花水月。
文治三年(1187),源賴朝行文平泉,要求藤原氏將朝廷叛逆源義經綁縛遞京,以正典刑,否則將視以同謀。對於這樣的虛言恫嚇,藤原秀衡自然是一口回絕。東北藤原一族,世據奧羽二州,養兵十七萬,盔甲鮮明,威震海內,這樣雄厚的實力絕非因為連年戰亂而破敗凋敝的關東所能輕易小覷的。或許,在藤原秀衡的心中,擁立源義經以為號召,率領十七萬鐵騎如同水銀瀉地一樣洶湧西向,收拾破碎山河,重歸一統也不是不可能的事情。再不濟的話,至少也應該能夠謹守家業,維持住奧羽割據的現狀吧。
然而當年十月,躊躇滿志的藤原秀衡便一病不起了,將死之時,秀衡召集諸子,奉源義經為大將軍,舉國聽命,再以嫡長子藤原泰衡繼任陸奧押領使。藤原秀衡既薨,支持奧羽那一片明媚天空的擎天巨柱頹然傾倒,不詳的塵埃彌漫四野;世人都明白,奧羽百年來安寧閒適的生活已經屈指可數了。
聽聞秀衡的死訊,源賴朝屢次上書京都,求乞法皇的院宣,借朝廷的權威來壓迫藤原泰衡,強令他交出源義經,以絕人望。藤原泰衡剛剛繼任,人心彷徨,尚未歸附;他既懼怕鎌倉趁機發兵討伐,又擔心源義經橫奪兵權,威脅到他奧羽主宰的地位。泰衡有心剷除源義經的勢力,又害怕因此引起家中的叛亂,越發不可收拾。畢竟尊奉先主秀衡遺命而聽令於源義經的臣子也不在少數,其中又以弟弟藤原忠衡與賴衡侍奉源義經最為恭謹。不知不覺奧羽藤原氏已經悄然瓦解,眼見仰慕源義經風采而歸附衣川之館的藤原子弟日增,困居平泉館的藤原泰衡只能如野獸般徘徊。
文治五年(1189)二月,藤原泰衡殺害了親近源義經的六弟賴衡。四月源賴朝向京都朝廷上書,求取院宣以討伐奧羽藤原氏。出於平衡諸勢力壓制鎌倉的目的,後白河法皇拒絕了源賴朝的請求。但是為了安撫賴朝,法皇正式頒下了追討源義經的院宣。隨同院宣一起被送往奧羽的,還有源賴朝親口允諾之交出源義經以後藤原氏能夠得到的種種優厚條件。
藤原泰衡終於下定了決心,閏四月三十日派兵五百騎突然襲擊源義經居住的衣川館。源義經及其部眾寡不敵眾,微弱的抵抗鏇即被粉碎,鷲尾經春等眾多郎黨逐一戰死。當平泉的軍兵即將踏入衣川館時,源義經在持佛堂中親手殺死了跟他一起跋涉北路逃亡陸奧的妻子河越氏,自戕而死,時年三十一歲。
之後藤原泰衡命人將源義經的頭顱浸泡在美酒之中,漆函盛之送往鎌倉。六月十三日於鎌倉郊外的腰越驛,時任鎌倉侍所正副主官負責御家人事務的和田義盛與梶原景時仔細檢視了源義經的首級。不過歷經四十餘天暑熱的天氣,沉醉在美酒中的義經之首級已經不復昔日俊朗的神采,變成了一堆令人作嘔的腐肉,即便是與之熟識的和田與梶原也無法辨認出曾經一起並肩討伐六波羅平家的九郎判官。
文治五年(1189)六月二十五日,鎌倉上書朝廷乞請討伐藤原泰衡。這一次,京都的朝廷意料之中地失聲了。與六波羅平家以及旭將軍源義仲不同,平泉對待朝廷的態度一向敬服;只要不去觸動他割據的本質,名義上的朝覲和供奉極少缺失。並且在後白河法皇心中,奧羽的強兵已經是他唯一可以用來制衡鎌倉的救命稻草了。京都於是回書說源義經既已伏誅,天下略定,宜與民休息,據否了鎌倉的請求。
沒有朝廷認可的敕令,討伐奧羽就會變成一場缺少大義名分,師出無名的私戰;鎌倉雖然向天下諸國發出了武者徵集的總動員令,然而會有多少武士聽令圍聚到源氏的旗下呢。前九年戰役中先祖源賴義征討陸奧安倍氏的時候,因為被判定為私戰而失去朝廷認可的大義名分,陷入苦戰險險覆滅。此間舊事仿如昨日,正是源賴朝不得不審慎從事的原因所在。有所猶疑的源賴朝問計於左右,老將大庭景義對曰:“軍中但聞將軍號令,不從天子詔書。”賴朝聞言大喜,重重地褒獎了景義。
諸國兵馬麋集鎌倉,七月十九日,猛將畠山重忠作為前鋒率領一千騎整裝出發,討伐奧羽藤原氏的戰役於焉開始。隨後諸軍分三路進發,左路比企能員、宇佐美實政帶隊走北陸道。右路千葉常胤、八田知家帶隊走東海道。中路源賴朝自帥諸將,帶隊走東山道。車轔轔,馬蕭蕭,總兵力號稱二十八萬,實為曠古未有的龐大軍勢。三路強兵有如泰山壓頂,直指平泉館包抄而去。諸道各國豪傑武人一路加勢,旗幟鼓吹,不可勝數。
平泉館這邊,襲殺源義經的餘波遠沒有平靜。義經的首級被送往鎌倉後不久,藤原泰衡再次誅殺了支持源義經的異母弟藤原忠衡。肅清不遵號令的內部之敵以後,泰衡終於能夠自血泊中抬起頭來,集合起紛亂的人心,騰出手來面對外患。只是此刻,他的對手已經放下溫和的面具,露出了猙獰的本像。
八月,藤原泰衡命令庶兄藤原國衡以及悍將金剛別當秀綱率軍兩萬在陸奧國阿津賀志山築起堅城固守,自領本陣屯兵國分原以為後援,又令秋田三郎致文前往出羽國抵禦鎌倉支路的進擊。
文治五年(1189)八月七日,鎌倉大軍抵達陸奧。當天夜裡先鋒畠山重忠帶領軍夫趁著夜色掩護連夜填平阿津賀志山前的溝塹,清除了進攻的障礙。
八月九日藤原國衡被畠山重忠郎從斬殺。
藤原國衡死後,奧州軍隊集結於根無藤拒戰,鎌倉方的安藤四郎諸將連番攻擊,奧州軍抵擋不住,徹底崩潰。駐紮在國分原的藤原泰衡聽聞前軍失利,落膽之下,棄軍而走,數萬大軍瞬間離散。此後奧州軍隊再無統率,終至敗亡。
文治五年(1189)八月二十二日,藤原泰衡放火灼燒平泉館。
天明時分,源賴朝進入幾成廢墟的平泉館,徵召留下的藤原各支族,以藤原泰衡外祖父藤原基成為首諸人皆表降服。逃亡途中的泰衡困窘無措,派人送書信給賴朝,言詞懇切,惟乞一命。源賴朝無意放過窮途末路的泰衡,分兵大搜。九月,追至比內郡,泰衡望風而走。源賴朝列本陣於陣岡,攻略出羽的比企能員、宇佐美實政前來匯合,鎌倉部眾號稱三十萬,氣勢如虹,勢不可擋。藤原泰衡無奈,決意奔蝦夷島(北海道)而去,行至贄柵,其部將河田次郎謀叛,襲殺泰衡,時年三十五歲。

遙かなる時空の中で

人物設定

CV:鳥海浩輔
年齡:22歲
身高:180CM

結局 『淨土』結局 『淨土』
生日:5月(具體日期不明)
血型:B型
身份:奧州藤原氏統領
五行:水
象徵物:下がり藤
代表色:黒と金
癖好:生氣的時候,喜歡將拿馬鞭的幾根手指的指節弄響
出生地:平泉
慣用手:右
備註:養了一隻名叫“金”的名犬
第一人稱:私/俺
對主人公的稱呼:あなた/お前
侍從:銀(平重衡

遙か 角色歌

瞑目の白き殘像

麗らなかな聲が聞える

劇情 『只有夜櫻知道』劇情 『只有夜櫻知道』
春を告く鳥よ
少しだけ日溜りの中
まどろむのもいい
遠去かるのは ああ 少女の足音か
それとも過去の ああ 戦いの幻か
瑠璃色の空に 風が吹いて
遙かな 明日を想う
罪深き我が身を包むのは 淡き春霞
漆黒の衣に散った
野辺の花たちよ
浄土など望めるはずも
ない身を飾るか
別々の道 ああ 選らんだあの父(ひと)と
辿り著くのは ああ 同じ理想だったとは
瑠璃色の空に 風が吹いて
平和な 明日を願う
目の前に広がる美しさ 花は春爛漫
…重きなる瞼が 見たものは
水面に消えゆく 波紋
夸らしく咲いた 真白き蓮
永久の 殘像よ
橫たわる身體は 永眠(ねむ)りつき
やがては土へと 帰る
抜け出した 魂は放たれ
高く 冥府へと黒き氷塊の樓閣

誰がつけたのか 風花という
命なき花 その潔さ
森へと続く 餓狼(がろう)の足跡
記憶の果てで 黃金(くがね)が啼いた
引き返せぬ大罪(つみ)も 闇を纏う道も
誰か傷つくこうと かまわぬ
非情でも それが愚かでも
お前が 生きる為なら
氷塊の樓閣よ どこまでも高く 凍てつく雲
突き抜けるほどに 聳え立つのだ
あの空のような お前の臨みに 屆く筈はないと
知っていても それで いいと
時は移ろい 下がり藤にも
花殼となる 運命(さだめ)が待つか
守りべき栄華も 血を分けた絆も
全て舍て去ろうと かまわぬ
夸りさえ そして呪術(ねがい)さえ
お前が 進む為なら
氷塊の樓閣よ どこまでも強く 冥府の炎
塞き止めて黒く 聳え立つのだ
あの風のような お前の背中が 視界から消えても
立ち盡くそう 獨り 此処に
氷塊のこの胸よ どこまでも深く 封じ込めよ
想い出の日々に 誰も觸れるな
溶けることのない 心の扉よ
聲を立て笑った 遠い季節
永久に 眠る

運命の舟に乗りて

現世(うつしよ) 夢のごとく
過ぎれば 風のごとし
されども熱き想いは
永遠(とわ)に語り継(つ)がん
此処に幾千の悲しみが沈み
かけがえなき者たちが眠っている
戦(いくさ)を見ていた 白き群雲(むらくも)よ
御魂(みたま)運びゆけ 光満ちる天(そら)へ
往くべき旅路を
俺も行くのみ
やがて 待ち受ける未來
誰も知らぬ なれど行(ゆ)かん 先へと
運命(さだめ)の舟(ふね)に乗りて
流れてゆくとしても
この手で漕(こ)ぎて進み行こう
願う平和求め
生きるがたとえ剎那
胡蝶の夢としても
明日を変えるその為
行こう 遙か遠く
天の計(はか)らいで人はめぐり逢う
果てしのなき海原(うなばら)の片隅で
戦(いくさ)が続きて もしもはぐれても
友よ 我が舟はお前待っている
終わりなき旅路
誰も行くのみ
胸に 守りたき人を
想う心 抱(いだ)き行かん 明日も
運命(さだめ)の舟が何処(いずこ)
導きゆくとしても
己がしかと決めて行こう
進みゆく海路(かいろ)を
見上げる空に日の出
進路を照らしたもう
明るき時代を目指し
出よう 遙か海へ
運命(さだめ)の舟に乗りて
流れてゆくとしても
この手で漕(こ)ぎて進み行こう
願う平和求め
生きるがたとえ剎那
胡蝶の夢としても
明日を変えるその為
行こう 遙か遠く

浄土と阿修羅の金環蝕

天の暗示か 血飛沫に似た
真紅(あか)い冬紅葉が 階段に
頬を切り去る 鎌鼬(かぜ)ほどもない
お前の裏切りに 楔を
立ち塞がるものは 今
抹殺(たお)して 進むのみ 何
何をほざいているか
まさに 狂い咲きの愚者
浄土を臨むほど 修羅の道となる
この手の花
奪(と)れるものなら奪ってみよ
浄土を臨む故 阿修羅となるのだ
裏腹な運命 重ねて
金環蝕の金は勝つ
ぽとりと首を 落として朽ちる
白銀き徒花へと なるがいい
頂上(いただき)で待つ この嶢(たか)さから
お前を遺(お)くるのだ 冥府に
何も失わずに 何故
何かを 得られよう ただ
咲くだけの野の花よ
真如 知りもしない愚者
浄土を臨むほど 修羅の戦(とき)となる
その眼に忠告う
死ぬというなら死ねばよい
浄土を穢すのか 馬鹿(おろ)かな反逆
生も死も運命 お前は
金環蝕の闇に散れ
天道は似合わぬ 煉獄で焼かれ
それでも尚 この本懐(おも)いは燃え殘ると
ああ 幾千萬の 亡き骸の上に
瑠璃色の 空が あればいい それで
浄土を臨むほど 修羅の戦(とき)となる
この手の花
奪(と)れるものなら奪ってみよ
浄土を臨む故 阿修羅となるのだ
裏腹な運命 重ねて
金環蝕の金は勝つ

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