鈴木八郎

鈴木八郎

鈴木八郎(1900-1985)1926年,與金丸重嶺先生一起成立日本最初的商業攝影藝術家工作室“金鈴社”。最有代表性的作品是1938年出版的《我的庭園之寫真》。

基本信息

簡介

《我的庭園之寫生》系列之一《我的庭園之寫生》系列之一

鈴木八郎(1900-1985)
1926年,與金丸重嶺先生一起成立日本最初的商業攝影藝術家工作室“金鈴社”。最有代表性的作品是1938年出版的《我的庭園之寫真》。

簡歷

北海道余市町に生まれる。早稲田工手學校建築科を中退する。東京芝白金の前島英男の前島寫真館に入門して、前島の義弟の金丸重嶺と同門になる。
戦前、石津良介とも交流のあった安井仲治(1903-1942)と往復書簡を交わす。
大正から昭和にかけアルスより技法書を多數執筆する。その後『カメラクラブ』『寫真サロン』編集長を務めた。

年表

1924年(大正13年)に「表現社寫真會」を斉藤鵠児(玄光社刊『寫真サロン』月例寫真選者)、魚住勵らと結成する。同年、宇高久敬、南実と「東京商業寫真研究會」を結成する。
1926年(大正15年)、金丸重嶺と日本初のコマーシャル寫真スタジオ「金鈴社」を設立する。
1931年(昭和6年)にアルスを退社し、コダック・ジャパン・リミテッドに入社して、企業誌を編集する。
1936年(昭和11年)、アルスに復帰する。
1938年(昭和13年)、アルスより寫真集『わが庭を寫す』を刊行する。
1939年(昭和14年)に金丸重嶺が日本大學芸術學部寫真學科(江古田)を創設し、2年間、鈴木も教鞭をとった。
1951年(昭和26年)に復刊『寫真サロン』(玄光社)の編集長になる。その後、旭光學商事宣伝部長、ペンタックスギャラリー館長を歴任。
1971年(昭和46年)、日本寫真協會より功労賞を受賞する。
1975年(昭和50年)、勲五等瑞寶章受章。

參考文獻

『鈴木八郎寫真集』(発行者:野崎康彥、発行所:ニホンカメラ社、1988年)所収「鈴木八郎年譜」(鈴木ミチル)
『寫真150年 光とその影 ─日本大學・東京工芸大學オリジナルプリント・コレクション』展図録(1989年)

盤點日本著名攝影家

近現代以來,日本攝影家在現代技術的運用中逐漸建立起了日本特有的攝影語言體系,並在二戰前迎來短暫的“黃金時期”。二戰後,日本攝影出現了明晰的分流。一部分攝影家開始用現實主義的沉重眼光看待滿目瘡痍的日本,一部分攝影家則重拾戰前先鋒運動的實驗精神。
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