釈日本紀

內容介紹

鎌倉時代末期の1274年(文永11年)~1301年(正安3年)頃に成立したと推定される『日本書紀』の注釈書。全28巻。
『上宮記』、『日本紀私記』、『風土記』、『古語拾遺』、『天書』、『安鬥智徳日記』、『調連淡海日記』、『先代舊事本紀』等、多くの史料を駆使し、解題、注音、亂脫、帝王系図、述義、秘訓、和歌の7部に分けて注釈を付けている。このため、現在では散逸している書物を逸文として殘しており、兼方の厳密な書紀の原文解釈とも相まって、『古事記』、『日本書紀』の欠を補う史料として高い評価を受けている。

作者介紹

卜部兼方(うらべかねかた、生沒年不詳)は、鎌倉時代中後期の神祇をつかさどる官人、神道家。神祇権大副にして平野神社社務。名は懐賢とも。訓は「やすかた」とも。父は神祇権大副卜部兼文。父兼文ら平野社系卜部氏に代々伝わる家説と奈良時代以降の數々の『日本書紀』注釈を基に『釈日本紀』を著し、後に吉田神道に大きな影響を與えた。
卜部氏は古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判斷を業としていた氏族である。大中臣氏とともに代々神祇大副?少副を継承した。平安時代中期には平野社系と吉田社系の二流に分かれ、兼方の平野社系は卜部氏始祖卜部平麻呂が平野社領となっていることから本來なら宗家の立場であるが、吉田神社が藤原氏の氏神であることもあり勢力は二分され、氏長者も二流が交替で受け継ぎ、それぞれ家學として日本書紀等の古典の研究をしていた。
室町時代に入り、吉田社系が公卿を出したこともあり盛んになると、平野社系は衰え、兼方の8代孫兼緒の代で絶えた。平野社系は、吉田社系から兼永が養子に入り継承し、その子孫が藤井充行の代以降藤井家を稱し堂上家となっている。
『釈日本紀』との関係を示す兼方の書寫になる弘安9年(1286年)の奧書のある『日本書紀』神代巻二巻の卜部家本が、文化庁に所蔵されている。

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