明治藥科大學

明治藥科大學

明治藥科大學,1902年明治35年4月恩田重信(初代校長)、東京神田區三崎町に東京薬學専門學校を設立,2006年平成18年4月薬學科(6年制)、生命創薬科學科(4年制)を設置。

基本信息

歷史沿革

明治藥科大學明治藥科大學

1902年明治35年4月恩田重信(初代校長)、東京神田區三崎町に東京薬學専門學校を設立

1903年明治36年9月東京薬學専門學校第1回生卒業

1904年明治37年4月文部省専門學校令により神田薬學校と改稱

1906年明治39年3月神田薬學校を明治薬學校と改稱

1907年明治40年3月東京女子薬學校を併設(我が國最初の女子薬學校の誕生)

7月両校共に麴町區紀尾井町に校舎を移転

1909年明治42年3月東京女子薬學校第1回生卒業

1919年大正8年3月麴町區中六番町に明治薬學校校舎を新築移転

紀尾井町校舎は東京女子薬學校専用になる

1920年大正9年2月経営母體としての財団法人明治薬學校設立

1922年大正11年11月財団法人明治薬學校から財団法人明治薬學専門學校へ改稱

1923年大正12年2月明治薬學専門學校設立認可(専門學校への昇格)

9月関東大震災により校舎焼失

1924年大正13年4月渋谷區笹塚に校舎を新築移転

1926年大正15年3月明治薬學専門學校第1回生卒業

1930年昭和5年4月財団法人明治薬學専門學校から財団法人明薬學園の変更認可

9月明治薬學専門學校を笹塚校舎から駒沢(世田谷)校舎へ移転

東京女子薬學校を紀尾井町校舎から笹塚校舎へ移転

11月東京女子薬學専門學校設立認可(専門學校への昇格)

1932年昭和7年3月東京女子薬學専門學校第1回生卒業。

1945年昭和20年5月戦火により東京女子薬學専門學校の校舎を焼失

明治薬學専門學校の校舎に避難

1946年昭和21年1月東京女子薬學専門學校を東京田無町(現西東京市)に移転

1949年昭和24年2月明治薬學専門學校が新制大學として認可を受け、明治薬科大學となる

6月恩田経介教授が初代學長に就任

1950年昭和25年4月東京女子薬學専門學校が明治薬科大學・田無校として認可

1951年昭和26年2月財団法人明薬學園を學校法人明薬學園に組織変更

1953年昭和28年3月明治薬科大學第1回生卒業

1957年昭和32年3月世田谷校を製薬學科、田無校を厚生薬學科として認可

1964年昭和39年4月田無校の厚生薬學科を薬剤學科と改稱

世田谷校に衛生薬學科の學科増設を認可

1972年昭和47年4月久保忠道教授、第二代學長に就任

1974年昭和49年8月千代田區紀尾井町に剛堂會館ビルを建築

1975年昭和50年3月大學院薬學研究科薬學専攻修士課程設置認可

1977年昭和52年3月大學院薬學研究科薬學専攻博士課程(後期)設置認可

1984年昭和59年4月中野三郎教授、第三代學長に就任

1992年平成4年1月大石武氏、第四代學長に就任

1995年平成7年4月大學院博士課程(前期)に社會人コースを開設

12月大學院薬學研究科臨床薬學専攻博士課程(前期)・博士課程(後期)設置認可

1998年平成10年8月清瀬キャンパス竣工

東京都世田谷區並びに田無市から、東京都清瀬市に移転

法人名を學校法人明治薬科大學に改稱

1998年平成10年9月清瀬キャンパスにて授業開始

2000年平成12年3月坂本正德教授、第五代學長に就任

創立以來の卒業生が31,000名を超える

2001年平成13年4月連攜大學院方式を導入

2002年平成14年5月創學100周年記念式典を挙行

2004年平成16年4月久保陽德教授、第六代學長に就任

2005年平成17年12月大學院創設30周年記念式典を挙行

2006年平成18年4月薬學科(6年制)、生命創薬科學科(4年制)を設置

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