テツandトモ

テツandトモ(てつアンドとも)は、株式會社J.M.P所屬のお笑いコンビ。流行語大賞となった頃は「テツ&トモ」という表記もあったが、現在は「テツandトモ」と表記するのが普通である(姓名判斷の結果を受けて変更したとされる。)。

メンバー編集

テツ(本名:中本 哲也- なかもと てつや、1970年5月9日- )

大學進學の際、地元の國立大學である滋賀大學教育學部に合格していたが、演劇の道を志、日本大學藝術學部に進學した。

デビュー當時は出身高校の石山高校のジャージを著ていた。

2004年5月9日に入籍、翌年2月に長男が誕生した。

営業を重ねた結果、埼玉に三階建ての一軒家を購入した。(「やりすぎコージー」2008年11月3日放送分より)

トモ(本名:石澤 智幸- いしざわ ともゆき、1970年5月10日- )

デビュー當初は、出身高校の日本大學山形高等學校のジャージを著ていたため、地元では英雄扱いだった。ちなみに、フジテレビアナウンサーの武田祐子は幼稚園から中學校までの同級生で、俳優の畠中洋は高校の先輩。

結成前の1991年ごろ、「星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!」內の素人パフォーマンスコーナー「岸谷五朗の日比谷公開堂」に、「チョビひげ次郎(トモ)」「モンキー・チャム」という2人組のグループ「モンチョビ2」としてしばしば登場していた。また1996年には、NHKのど自慢(東京都中野區大會)に出場し、チャンピオンになる。

特技は詩吟。詩吟の経験のせいか、演歌歌手のように小節(こぶし)の入った歌い方をする。聲量と歌唱力の評価は高い。

「似てないものまね」が特技(自己紹介の歌でも、テツから「特技は似てないものまねよ♪」と振られてものまねを披露する。後述の立川談志の他にも、石橋貴明やマギー司郎などのレパートリーがある)。

ボルシチが苦手。

もともと演歌歌手志望であったテツと俳優志望であったトモが結婚式の餘興でデュオを組んだところ、それをスカウトされる(ただし歌ったのはまじめな歌だった)。まじめに歌手をやるつもりで上京したのだが、なぜかお笑いを無理矢理やらされることになり、現在の形になった。

概要編集

赤・青の揃いのジャージを著て、トモがギターを弾き、テツがおかしな踴りを踴り、「なんでだろ〜」と連呼しながら日常の何気ない疑問について繰り広げる漫談で有名になった。「なんでだろ〜」は2003年のタイアップ効果により同年の流行語となり、新語・流行語大賞にも選ばれた。漫談の中でトモが立川談志などのモノマネを披露する事もある(似ていない事をネタにしている)。

二人とも高校卒業後、日本大學芸術學部に進學し、そこで知り合う。

ネタは全て綿密な打ち合わせによって成り立っており、同じものを通しで二度以上繰り返すことも可能だという(ただし、客の盛り上がり具合に応じてテツの動きの激しさは変化する)。

2003年1月から『こちら葛飾區亀有公園前派出所 (アニメ)』とタイアップしたエンディングテーマ「テツandトモのなんでだろう〜両さんバージョン〜」でお茶の間の視聴者層に広く知られるようになり、翌月発売のシングルCD「なんでだろう 〜こち亀バージョン〜」がヒットした。ただ、歌詞は臨機応変・縦橫無盡に変わるので、曲というよりまさに「芸」である。しかし、『うたばん』、『ミュージックステーション』、『MUSIX!』などに出演しつつ、同じ番組の出演者をネタにして「なんでだろう」を歌った。

ただ、歌詞は臨機応変・縦橫無盡に変わるので、曲というよりまさに「芸」である。しかし、『うたばん』、『ミュージックステーション』、『MUSIX!』などに出演しつつ、同じ番組の出演者をネタにして「なんでだろう」を歌った。

1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』(NHK)に出演し、23戦20勝という高記録を殘して卒業して行った。

一時期ニチエンプロダクションから離れ、株式會社J.M.Pという事務所に所屬をしていた事がある(後にニチエンに復帰)。

2003年の紅白歌合戦で、はなわとの契約により「佐賀県なんでだろうスペシャル合體ヴァージョン」で出場した。

ジャージは特注品で、1著10萬円するという。

トモが弾いているギターは演歌歌手を志していたころテツが購入したものである。

2004年1月1日放送の笑點「お笑い芸人大喜利」で、「芸人になってよかったなぁ」という問題に対し、トモが「圓楽師匠に「山田さん(山田隆夫)にかわって座布団運びをやらないか」と言われた時」と回答。當然、山田の逆鱗に觸れてしまい、舞台の上手から猛ダッシュでトモを突き飛ばし、さらにテツまで突き飛ばして、二人の座布団は取り上げられてしまった。これを観ていた進行役の三游亭楽太郎が「ダメだよトモちゃん! (山田にとって)アレ(座布団運び)は生命線なんだから!!」と一喝した。

2005年7月21日には哲智のアーティスト名で「おいら。」をリリース。お笑い芸人としてではなくアーティストとして歌うため、黒のスーツに白のシャツで歌う。過去にCDは出しているものの、アーティストとしてCDを出すのは初めてであった。

テツは元々歌手志望、トモはのど自慢チャンピオンの経験という過去を持つこともあり、お笑い芸人の中では特に歌唱力が高い。小學生のころには既にビブラートを體得していたと言われる。

第2回M-1グランプリ(2002年度)に決勝進出。決勝では漫才ではなくいつもの「弾き語りパフォーマンス」を行い、鞄などの大道具も使用した。そのためか審査員は(観客にはウケていたが)やや硬い表情を浮かべていた。松本人志は「これは難しいですね。赤いジャージの子は友達としては100點なんですけど、これを漫才ととるか、っていうところですよね。あとこれを4、50分やられたらものすごく面白くなると思う。時間的なものもありますかね」と評し、立川談志は「お前らはここに出てくる奴じゃないよ。もういいよ。俺褒めてんだぜ。分かってるよな?」との芸そのものを否定しているようにも受け取れる発言をしてしまったため、司會の西川きよしにフォローされた。結果は6位。談志はその後、2008年に行われたテツandトモ結成10年記念ライブに參加した。ノリノリでなんでだろうの踴りを披露している。

「笑いの金メダル」のコーナー・グリルの金メダルで、「テツトモカレー丼」を作ったが、電気釜に米と水を入れ、市販のカレー粉をのせてそのまま蓋をして炊くだけという安易な作り方だった為か、三宅裕司に「今までの中で一番マズい」「パサパサしてしまっているんだよね」と言われてしまった。

2006年に女性周刊志に「あのブームを起こした人は今」の特集にコメントを殘す。2006年以降は営業を中心に地方ロケのグルメ番組などでも活動している。

2007年3月28日放送回の「スピードワゴンのキャラメル on the beach」(TBSラジオ)で小沢一敬から「営業で一緒になって、『少し太りましたね』って聲をかけたら、お腹をおさえて『ここには何百萬円入ってるんだ。』って言われた。」と売れてから嫌な一面が伺えたと暴露された。

2007年6月24日放送の「笑いの金メダル」の最終回に出演した際、テツはジャージ姿ではなくて、當時首相だった安倍晉三に扮して登場。

ラーメンズとは契約ライブを開くほど親交があり、テツトモが彼らの公演に足を運ぶ姿も多々目撃されている。また、ラーメンズのビデオ「news-NEWS」(公演の舞台裏を収録したもの)にも出演している。

同じくコンビ名に「アンド」を入れているタカアンドトシと間違われる事があり、本人達もその事をネタにしている。

NHK山形放送局製作の「今夜はなまらナイト」には、當初山形市出身のトモが出演。その後テツも加わり、現在は毎回コンビとして出演、県內で高い人気を集めている。そのため、2008年8月の山形花笠祭り最終日にゲストとして呼ばれ、山車に上がった。

2009年7月のキズナ食堂に一発屋芸人として出演したが、複數の番組で全く同じネタを常に求められていたテレビ出演を辛かったと語り、持ちネタや貯金が少しずつ増えていく今が一番充実していると締めくくっている。

2010年6月より清水國明、原田伸郎、宇津木妙子、田尾安志らと共にテレビショッピング研究所の「青汁三昧」コマーシャルに出演している。なお29分の通販番組ではインタビュー取材を受けている。

上記のように現在では一発屋になっているため「タカトシ×くりぃむのペケ×ポン」の「旬ものはどれだ」のコーナーの「旬じゃない芸人ルーム」にいつもおり、「不正解だった芸人に対して彼らのネタを一緒に行わせ辱めを受けさせ、最初は嫌々やっていた人たちも最後は楽しくなっているパターンが定番になっている。

相關詞條

熱門詞條

聯絡我們