亜愛一郎の狼狽

亜愛一郎の狼狽

《亜愛一郎の狼狽》是1981年11月角川書店出版的圖書,作者是泡坂妻夫。

圖書信息

作者:泡坂妻夫
出版社:角川書店
副標題:亞愛一郎系列首部作
出版年:1981-11
頁數:331頁
定價:JPY1,155円(稅込)
裝幀:單行本
叢書:亜愛一郎シリーズ
ISBN:9784048723220

內容簡介

「DL2號機事件」

宮前空港に屆いた飛行機爆破予告。爆破予告に色めき立ち、厳戒な警備を敷いた警官たちの前に1人の男が現れる。彼は「ああ」と呼ばれていて、行動も挙動不審だ。爆破されると予告された飛行機は無事に到著し、何事もなく事件は終了したかのように見えた。

名探偵亜愛一郎の記念すべき初登場作品、と言うのみならず作家泡坂妻夫のデビュー作でもある。丹念に伏線が張られた後に明かされる意外な真相、というミステリとして非常にオーソドックスな型なんだけれども、一見オーソドックスなミステリには見えない。それは、本編が(それは本編に限ったことではないんだけれども)奇妙な論理に支えられているからであろう。いきなり事件が起こってあっちゅう間に解決するという構造も見事。

「右腕左山上空」

テレビコマーシャルの撮影で気球に乗ったヒップ大石と言うタレント。彼は各方面から多大なひんしゅくを買っていた。ヒップ大石が気球に乗り込み、撮影は開始される。だが、やがて狀況がおかしいことに周囲は気づく。気球をおろしてみると、ヒップ大石は何ものかに殺された後であった。

空中の開かれた密室というシチュエーションはホックの『サム・ホーソンの事件簿Ⅰ』(創元推理文庫)収録の「古い樫の木の謎」にもあったが、同じ狀況を扱った太平洋を隔てた競作と言う観點で見ると面白いかも。本編は鮎川哲也編の密室アンソロジーにも采られた1編。細かく積み重ねられた演出に支えられたトリックもであるが、本編はトリック雲々よりも伏線の巧みさにこそ面白みがある。読み返してみると伏線がこれでもかと張られているんだから。

「曲がった部屋」

美空ヶ丘団地は火葬場のすぐ近く。風向きにより人を焼く煙が流れてきたりして不吉なことこの上ない。美空ヶ丘団地はある政治家が己の力を顕示するために造った都市に立っていたのであるが、その政治家は既に亡く遺族は老婆とどら息子1人。そして、美空ヶ丘団地內で死體が発見される。

亜愛一郎というと推理力は抜群だが他は抜けている、と言うイメージが強いと思うが本編では向かってくる犯人を投げ飛ばすという芸當を見せてくれる(尤も、投げ飛ばした後はバタンキューとなったが)。本編のメイントリック自體は基本中の基本、ミステリ史上死ぬほど使われているものだ。だが、本編の真価はそのトリックを支える奇妙なロジック。加えてサブトリックが更に効果をあげる。ただ、このサブトリック、今ではピンとこない人が結構いるかもしれない。

「掌上の黃金仮面」

奈良の大仏以上の高さを夸る彌勒菩薩像の掌(てのひら)の上でお札に似た割引券を不気味な黃金の仮面を被った男が配っていた。一方、強盜事件の仲間割れで女性が殺害され、掌の上の黃金仮面が射殺される。だが、下から撃つには距離がありすぎて屆かない。誰がどうやって、何のために射殺したのか。

本編は個人的には如何にして犯行動機が形成されるのか、と言うプロセスがキモ。正直、射殺のハウダニットはどうでもいい。だが、どうして犯人は被害者を射殺しなければならないのか、というホワイダニットのロジックは納得させられる。奇妙なシチュエーションは虛仮威しではない、と言うのは當たり前。どうして黃金仮面が割引券をばらまいていたのか、その割引券がお札に似てなければならないのかと言うものが銀行強盜を軸に収斂される。本編を読み返して氷川透が主張するロジック=レトリックという說の傍證として本編は有効かも、と解決編を読みながら思った。

「G線上の鼬」

頻発するタクシー強盜であったが、肝心の運転手は強気でどんとこいという趣だった。或る雪のよる、國道G線上でタクシー運転手浜岡は同業者が強盜に襲われた直後の狀態でいたのに遭遇する。その時乗っていた客は亜愛一郎。そして、強盜に襲われた直後のタクシーに恐る恐る舞い戻ると強盜は血を流して死んでいた。

全編これ伏線と言うべき作品で、さりげない描寫の細部に至るまで伏線が仕込まれている。ミステリの醍醐味として伏線の妙と言うのが挙げられる事が多いが、ここまで拘った作品というのは空前絕後であろう。何故強盜被害者がタクシー強盜を表現する際に狐のようなではなく鼬のようなと表現したのか、という所から導かれるものから人間心理の奧をつく論理は逆說と言うより寧ろ強固なロジックと言うべきものである。本編はトリックらしいトリックはないけれども、ロジックがそのままトリックになると言う作品と見れば立派なトリック小說とも言える。

「掘り出された童話」

大會社の社長が詫壽の祝い、と稱し1冊の童話を自費出版した。文學の素養が全くない故か、その童話は全くの無茶苦茶なもので文章の體をなしていない部分もあって親切心で直したら逆鱗に觸れてしまい最初から、間違った文章のままで本になってしまう。何故社長はこんなものを造らせたのか。

エッセイ『ミステリーでも奇術でも』(文春文庫・絕版)によると、本編の冒頭部分を書く際は一日2行しかかけず「幻影城」の編集長であった島崎譲ネタにされたとか。暗號小說の極地、と言いたくなるような1編であるがこれが作者の暗號小說遍歴というか変な本遍歴(?)の最初になるとは本編執筆當初思ってもみなかったであろう。暗號そのものはシンプルであるが、その暗號に込めた思いと言うのはシンプル故に胸を打つものが……ないけれども考えてしまう。冒頭のマジックアイテムと暗號の絡ませ方は見事。

「ホロボの神」

戦爭が終わって幾年。ホロボ島へ戦友の遺骨を拾いに行く途中、中神康吉は船で出來妙な男に出會った。その男に中神は戦時中の、ホロボ島での奇妙な出來事を話す。それは、未開人の集落で起きた酋長の自殺事件の話だった。どう考えても自殺というものは文明の產物で未開の地にそぐわない。しかも、酋長は死の直前に死んだ妻と共に過ごしていた。死體は忌むべきものなのに。

文明と未開人の遭遇が生み出した化學反応による殺人事件、と表現すべきか。「掌上の黃金仮面」に於いて「もし、たこが面を作ったら、もっと変わった面の付け方を考案するかもしれませんが」と亜が述懐する場面があるがこういう発想の元、すなわち異なる文明同士をぶつけたらどの様な結果がでるかと言う発想の元に本編は書かれたのであろう。現場となった場所には誰も入れないから自殺だろうという密室を作る必然性ベスト1に挙がるであろう想像を最初に登場人物にさせる。なお、本書は『有栖川有棲の密室大図鑒』(新潮文庫)でも取り上げられている。

「黒い霧」

金堀商店街で起きた黒い霧の怪異……と言うわけではなく、何ものかがカーボンが入った袋を破き、カーボンをまき散らしていたのだ。そのせいでケーキはすすだらけ、豆腐もすすだらけ、何もかもすすだらけで収拾がつかない。カーボンをまき散らす仕掛けも発見され、誰が何のためにこのようなことをしたのかが問題になる。

誰が、何のために? と言うフーダニットとホワイダニットを探る1編。奇抜な行動の裏には合理的な精神に基づいた何かがある、と言うミステリの大原則に則った正統派ミステリ短編……と言うにはやはりどこかずれてるような。それは、亜愛一郎というキャラクターや雰囲気が醸し出すのどかな雰囲気故なのか、逆說とも言える奇妙な論理故なのか(本編のロジックもやはり人間観察に基づくものであるが)。

作者簡介

泡坂妻夫(あわさか つまお?、1933年5月9日 - ),本名厚川昌男,筆名由其本名發音變化而來。被譽為“日本的切斯特頓”。

泡坂多才多藝,除繼承家業,成為描繪和服紋章的師父外,也利用業餘時間研究魔術,創作了四本相關著作,曾榮獲石田天海獎(魔術表演賞項)。

1975年以短篇《DL2號機事件》獲得首屆“幻影城”新人佳作賞。

1977年以《失控的玩具》再獲得第三十一屆日本推理作家協會賞和第七十九屆直木賞的候補。

1988年以作品集《折鶴》獲泉鏡花獎,1990年又以《蔭桔梗》更獲得了第一百零三屆直木賞。

泡坂將推理小說和魔術,玩具,紋章等他嫻熟的知識相結合,以極其巧思的謎團,顛覆的問題以及渲染所營造的奇幻氣氛,再混入適當的幽默,構造出他風雅純粹的風格。日本推理鬼才山風太郎都說:“如果日本有人寫的出像G.K.切斯特頓一般充滿顛覆和創意的推理小說,那個人非泡坂妻夫莫屬。”

叢書信息

亜愛一郎シリーズ (共3冊), 這套叢書還有 《亜愛一郎の転倒》,《亜愛一郎の逃亡》,

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