塩沢幸一

1913年(大正2年)12月1日- 1914年(大正3年)12月1日- 1930年(昭和5年)12月1日-

人物簡介

塩沢幸一,(しおざわ こういち、1883年(明治16年)3月5日 - 1943年(昭和18年)11月17日)舊日本海軍大將。長野縣伊那郡大草村人。塩沢幸一的妻子是議員北原阿智之助次女。

生平

1901年(明治34年)12月16日- 海軍兵學校入校
1904年(明治37年)11月14日- 海軍兵學校卒業 少尉候補生・韓崎丸乗組
1906年(明治39年)2月16日- 姉川丸乗組
7月16日- 3等駆逐艦「響」乗組
1907年(明治40年)8月5日- 海軍炮術學校普通科學生
9月29日- 任 海軍中尉
12月16日- 海軍水雷學校普通科學生
1908年(明治41年)4月20日- 戦艦「三笠」乗組
1909年(明治42年)4月1日- 通報艦「千早」分隊長心得
10月11日- 任 海軍大尉・通報艦「千早」分隊長
11月1日- 戦艦「相模」分隊長
12月1日- 海軍大學校乙種學生
1910年(明治43年)5月23日- 海軍炮術學校高等科第7期學生
11月25日- 海軍炮術學校高等科優等修了
12月1日- 橫須賀鎮守府予備艦隊參謀
1911年(明治44年)1月23日- 2等巡洋艦「利根」分隊長
12月1日- 佐世保鎮守府予備艦隊參謀
1912年(大正元年)12月1日- 海軍炮術學校教官兼分隊長 兼海軍経理學校教官
1913年(大正2年)12月1日- 海軍大學校甲種第13期學生
1914年(大正3年)12月1日- 任 海軍少佐
1915年(大正4年)12月13日- 海軍大學校甲種卒業 卒業成績順位17名中第3位
12月15日- 海軍省軍務局第1課
1917年(大正6年)6月1日- 在イギリス日本大使館附海軍駐在武官府補佐官補
10月2日- 英戦艦「リゾリューション」乗組 観戦武官
11月21日- 英戦艦「ロイヤル・オーク」乗組 観戦武官
1918年(大正7年)10月10日- 英戦艦「ロイヤル・オーク」退艦
12月1日- 在イギリス日本大使館附海軍駐在武官補佐官
1919年(大正8年)12月1日- 任 海軍中佐・帰朝
1920年(大正9年)4月13日- 海軍省教育本部第1部員
11月1日- 第一艦隊司令部參謀
12月17日- 海軍大學校教官
1923年(大正12年)3月1日- 海軍省軍務局第2課長
12月1日- 任 海軍大佐・海軍省軍務局第1課長
1925年(大正14年)5月15日- 重巡洋艦「古鷹」艤裝員長
1926年(大正15年)3月31日- 重巡洋艦「古鷹」艦長
12月1日- 在イギリス日本大使館附海軍駐在武官兼艦政本部造船造兵監督長
1928年(昭和3年)12月10日- 任 海軍少將・帰朝
1929年(昭和4年)6月1日- 海軍軍令部出仕
9月6日- 第2艦隊司令部參謀長
11月30日- 連合艦隊參謀長兼第一艦隊參謀長
1930年(昭和5年)12月1日- 第一遣外艦隊司令官
1932年(昭和7年)6月6日- 海軍軍令部出仕
10月1日- 兼 海軍省軍事普及部委員長
12月1日- 鎮海要港部司令官
1933年(昭和8年)11月15日- 任 海軍中將
1934年(昭和9年)1月17日- 海軍航空本部長
1935年(昭和10年)12月2日- 舞鶴要港部司令官
1936年(昭和11年)12月1日- 佐世保鎮守府司令長官
1937年(昭和12年)12月1日- 軍令部出仕
1938年(昭和13年)2月1日- 第五艦隊司令長官
8月13日- 勲一等瑞寶章受章
12月15日- 軍令部出仕
1939年(昭和14年)1月27日- 海軍艦政本部長兼將官會議議員
8月30日- 軍事參議官
11月15日- 任 海軍大將
1940年(昭和15年)9月5日 - 橫須賀鎮守府司令長官
1941年(昭和16年)9月10日 - 軍事參議官
1943年(昭和18年)11月17日- 死去 享年60(墓は中川村にある)

所寫書籍

『日本海軍的興亡』
『歷代海軍大將全覽』

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